まとまりのない日々

まとまりのない人間ですが

東京生活における記憶の保存

さて、このブログの更新も綺麗に三日坊主になってしまったわけだが、久しぶりに見返してみると、この時こんなことを考えていたんだ、という新鮮な驚きもあるので、ブログには「記憶の保存」、という役割があるのだなと改めて感じた。そんなわけで、書きたいこと、忘れたくないことがある時に気ままに(この言葉は更新しないことの言い訳に使われがちなものではあるが)更新していこうと思う。

 

訳あって東京を離れることになった。1年後にまた戻ってくる訳であるが。東京には大学に入るタイミングで住み始めたため、5年半になる。5年半も住んでいると、場所ごとに

誰かとの記憶、自分だけの思い出が生まれてくるものである。

 

話は変わるが、自分がこうしてネット上に駄文を残そうと思った理由に、感情を吐き出すこと以外に自分が考えていたことを忘れないこと、保存しておくこともある。今回は、そんな自分の東京での記憶を保存しておくために文章を書いていこうと思う。やっぱり東京なので、山手線の駅ごとに。

山手線を思い浮かべるときにどこを起点に考えるか、どこを起点にして地図が出来上がっているかは人によって違うのではないかと思う。周りの人に聞いたところ、新幹線から降りたから東京駅、とか東武東上線を使ってるから池袋、とか車庫があって終着駅になるから大崎、などさまざまなものであった。自分の場合は初めて使っていた路線が京王井の頭線であったため、完全に渋谷起点で考えてしまう。渋谷から外回りに巡ってみたい。

 

・渋谷

近くに住んでいたこともあったし、山手線の中で一番多く行った駅だと思う。個人的な印象としてはネズミの街。深夜になると人よりもネズミの方が多いのではないかと思う。コロナ始まりたての頃深夜に行ったら、本当に誰もいなくてびっくりした。あの頃の渋谷は本当にディストピアだった。

2020年に向けて再開発をしていたから、過ごしている中でどんどん変わっていってるな、という実感があった。新しく、便利に、綺麗になっているのだろう。でもそれは、目の前にある問題、汚いことから目を背けるようにしているだけなのかもしれない。新しくなった宮下公園に行った時、その屋上では開発反対のデモが叫んでいた。綺麗になった建物と、汚いトンネルに寝転がるホームレス。格差。分断。お互いに通じない会話。渋谷は、そういう綺麗なもので表面を飾っている感じがして、なぜか最後まで好きになれなかった、居心地の悪さを感じた街だった。

 

・原宿

若者たちの聖地竹下通りの向かいには深い森を擁する明治神宮があって、なんでこんなとこりが若者の聖地になったのだろうと不思議に思った記憶がある。やたらでかい黒人が偽のブランドでぼったくってるのを、なぜ警察は取り締まらないのか。テレビで見たことある芸人と目が合って、謎のライブに連れ込まれる。今は連絡が取れなくなった人と行った、冬のイルミネーション、青の洞窟。なぜか写真を撮った記憶がないが、とにかく寒かった。あの時の気持ちを思い出せない。

 

・代々木

なぜか深夜新宿から渋谷まで歩いて帰った時に、途中通ったことしか記憶にない。深夜の代々木公園は、都会の真ん中にできた巨大な暗い空洞であった。あの時の景色を、今も思い出せる。

 

・新宿

新宿は汚い街だけど、全てを受け入れてくれるような気がしていた。多分知り合いに会うことはないし、街の誰も自分のことを気にしていない。多分自分が思うそういう「都会」的な要素が全て新宿にはあったのだと思う。

二次会か三次会で連れ込まれた、この世の終わりみたいなカラオケ酒場で、なぜかわからないけど死ぬほど笑い転げた記憶がある。初めて中を通った2丁目はゴミが多くて汚かった。ゲイバーはカラオケがうるさくて何を話したか覚えていない。初めてのラブホテルは殺風景で、ビジネスホテルと何が違うんだ、と思った。

出会い系で会った、そもそも名前も知らないような人たちと食べたランチ、飲んだコーヒー。思い出したいような、思い出したくないような記憶。

新宿に美味しいものなんてない。

 

疲れたので、まだ4駅だけどこの辺で。